2010年8月24日 「窓」を開こう!

 自分の中にはナショナリズムとグローバリズムの両方が強く混在していて、そういう考え方みたいなものをまとめる事が、世界に出たいと思う人に向けて少しでも気づきになればと思います。

 僕が世界と仕事をしたいなぁと漠然と思い始め、中国を始めて訪れたのはすでに8年前。
 当時から友人だった副社長のO島に案内をして貰ったのだが、色々とカルチャーショックがありながらも、中国という国の潜在的な力を感じるには充分な旅だった。
 O島との関係もあり、まずはこの国で何かをしてみたいと思い、より海外に向かう事を意識し始めたのもこの頃だったと記憶している。
 その後しばらくしてから、海外と仕事をするならばと、ボリュームとしてはかなり小さいものではあったが、1年ほど英語を勉強し直し始めていた。
 具体的に中国でビジネスの話が産まれのが、6年か7年ほど前。
 その時に始めて訪れた大連では、さらに大きなカルチャーショックに出会う事になる。
 以前から中国は思っていたよりも、ビジネスマンも含めて英語を使える人が少ない印象を持っていたが、街中で買い物をしている最中に「茶色(ブラウン)」という簡単な一言すら通じないという状況に陥ったのである。
 その時に感じたのは「そうか、この国で何かをしたいと思うなら、中国語が話せなければいけないんだ」というシンプルな帰着だった。
 これ以来、中国でのビジネスや海外旅行などを通じて、自分の中で固まってきた1つの考えがある。
 それは、世界でビジネスをしようと思った時に、英語が使えるようになる事よりも、むしろその国のローカルな言葉を習得していく方が大事なのではないかという事である。
 ビジネスにおいては、特に意志決定が出来る高いマネジメント層がこれを担えれば最高である。逆に言えば、ここを得るために最初に時間とコストを掛けるべきではないか、とも考えられる(これに関連した内容は、2010年8月19日のエントリーを参照 世界に向かうためのヒント。
 僕はこの気づきを得られた後、むさぼるように中国語を勉強し始め、簡単な日常会話ならばこなせるようになれた。
 中国で、とある宴席で共青団の幹部の方とご一緒する機会があったのだが、僕は中国語で挨拶と自己紹介をした。
 すると彼は「君は何故中国語を話せるんだい?」と聞く。
 僕が「1つにはこの国でビジネスをしたいと思っているからです。それに、もう1つはこの国が好きだからです。」と答えると、心から嬉しそうに握手を求められた事を思い出す。
 例えば日本にいる外国人の方がとても流暢な日本語を話しているとする。我々が「日本語がとても上手ですね」と言った時に「はい!日本が好きですから。」と答えられたら、それだけで嬉しくはないだろうか?
 つまり世界に出る際、英語が話せる事はイコール最大の武器にはならないのだ。
 以前から僕は外国語は「窓」だと思ってきた。
 無くても生活は困らない。
 けど、あれば知らない世界を見る事が出来る。これって、とても素晴らしい事だと思う。
 もちろん修得度が高ければ、その窓はクリアなガラスになるだろうし、僕の持論をベースに語るならば、英語という窓は部屋の全ての方角に付いているように見えて、開かない場所もあるという事。
 僕のグローバリズムは、まさにナショナリズムの裏返しで、とにかく日本の良いものを世界に持っていきたい/自慢したい。という願いであり想いでもある。
 どこかで「日本っていいよね」って思っている部分があるならば、若者達にはどんどん窓から外の世界を見て欲しいと思う。
 それに、少なくとも語学は年齢が若い方が修得出来る可能性が高くなる。それは「どれだけの時間、その言葉に触れたか」という事が大きく起因しているからだ。
 旅行で感じた事でも、食べ物でも、音楽でも映画でも、その国の持つ何かが好きになってその国と仕事をしたいと思った時、まず示すべき相手への敬意の1つはその国の言葉を覚えようとする努力だと思う。
 つまり僕がアメリカやイギリスを目指し始めれば、その時はあらためて英語を勉強すると思うし、それを一緒に実現出来るメンバーを必死で探すと思う。
 潰しが効くから英語を、なんてつまんない考えは捨ててしまおう。
 僕は死ぬまでに5カ国語くらいは話せるようになりたい。

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