2007年5月22日 ルーツをたどるという事

最近は毎日色々なアイデアに触れる機会があり、
気になったことを書こうと考えると日々どれを
選択するか迷ってしまう。
とは言え、読み返してみると、結局は私的な日記の
ような内容が多いんですけどね。
ブログだけでなく、mixiやgreeで日記などを
書いている人は大抵「うーん、何を書こう」と
迷った経験があるんじゃないかと思うけれど、
これはインターネットを通じて自分の知っている人や
知らない人を含め、「現実とは違う階層の中で
誰かがそこにいる」感覚を持っているからだと思う。
簡単に言えば、読んでくれる人がいれば、
それなりに気を使ったり、喜んでもらいたいと
考えてしまうのが人の常だからだ。
マズローの欲求段階で言えば、親和の欲求。
他人との関りを持ちたいとか、他人と同じように
したいなどを含めた集団帰属の欲求。
それに、他者と接触する公の場で発せられる言葉に、
全く責任がないかと言われれば、当然そんなはずはない。
多くの人は、それを理解しているからこそ、
僕も含めて日本のブログには私的な日記のような
内容が多いのかもしれない。
ちなみに、つい先日見たテレビ番組によると、
テクノラティのデータから、世界中の言語の中で
最もブログで使われているのは、日本語なんだそうだ。
これは驚き。
世界のブログの中でも37%が日本語。
英語は第2位。確か34%くらい。
元々、ブログは9.11テロ事件をきっかけに、世界に
浸透していくようになったのは有名な話だけれど、
アメリカでは政治色の強いブログも多く、社会的な
テーマを扱っているケースがよく見られる。
他民族ならではの現象かもしれない。
番組内で非常に興味深かったのは、日本には私的な
日記のようなブログが多いという話に対して、元々
ルーツがあるということだったのだ。
その一つに、1940年頃 太宰治の「津軽」や
三島由紀夫の「仮面の告白」など、いわゆる私小説
呼ばれる作家自身の日常や心の中を書くジャンルを
挙げていた。
何かテーマを決めて書くエッセイとは若干異なり、
とにかく「自分のことばっか書く」という点が、
現在の日本のブログと近い部分があるのではないかと
推察していた。
なるほどね。
しかも、さらにさかのぼること996年。
清少納言の「枕草子」は、さらにルーツとなり得るの
ではないだろうかと結論付けていたのだが、とにかく
日本には確かにそういう気質があったんだなぁと
あらためて感じてしまった。
本来は、ごく身近な人しか面白くも何ともないような
私的なブログ。
今の日本では、これが文化でもあり、そしてルーツも
存在していたんだなぁ。

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